創作キャラ小説書いて頂きました

タイトルの通りです!とても仲良くしていただいている小説書きさまに、現在ぴくゆるで参加中のキャラ『コール・ハレー』の小説を書いて頂きました。
企画キャラの小説と言っても、これはもう一つの「短編創作作品」として読んでいただいても構わない。それくらいキャラの性格や世界観や心情がするすると溶け込むように美しい物語だと思います。
読んでてわくわくしてごろもだして仕方なかったです…西部劇とシリアスと不憫好きにはたまらなかったです…。公開の許可をいただいたので、こちらで公開したいと思います。本当にありがとうございます…!



登場人物:コール・ハレーについて

冒険者としてギルドから依頼を受け世界中を旅する魔術師。
しかし、身体が弱く魔術を使用すると身体に負荷がかかり、寿命を削る原因となるので必要最低限でしか魔術は使用はしない。
冒険者になるため実家から飛び出し、現在はパン屋の屋根裏部屋を借りている。過去に妹がいたが・・・。































荒野に咲く夢幻


 コール・ハレーは綺麗な琥珀色の液体と、流氷のごとく浮かぶロックアイスをじっと見つめていた。確認するようにくるくるとグラスを回し、あるところで止めた。慣性に則り、琥珀色の液体が渦を巻く。強烈なアルコールの臭いに、麦の芳醇な香りが隠れきっていた。コールはあまり酒には詳しくなかったが、それでも安酒と分かるような代物であった。コールはグラスを傾けて、僅かに口に含んだ。アルコールの味しか分からない上に、水で随分と薄めているようであった。
 コールは誰にも聞こえないように、小さく溜息を吐いた。寂れた酒場であった。カウンター席に酔いつぶれた男が一人、三組あるテーブル席には誰も座っていない。ピアノは置いてあるが、見るからに埃を被っており、チューニングされているかどうかも危ぶまれる。建物からテーブル、椅子まで木造だが、どの木も黒ずんでいる上に、風が吹くたびに建物全体がガタガタと音を立て、人が歩くたびに床板はギシギシと鳴り、椅子に至ってはいつ壊れるかも分からないほどフラついている。燃料が少ないのか、ランプがちらちらと鬼火のような不気味さをもって辺りを照らし、全体像をより小汚く演出していた。店の主人は憂鬱な表情を隠しもせず、目線を下に、黙ってグラスを拭き続けている。
 一見、貴女は旅人のようですが、どちらまで行かれるのです? とコールは一般的な酒場のマスターの会話を思い浮かべた。コールは、毒蜘蛛の森を抜けてきたところです。ここには疲れを癒しにきました。一泊二泊で帰る予定です。と一般的な返答を頭の中で用意したが、使われる気配はなさそうだった。
 ここはローズウッド大陸の中央よりやや右下あたりに位置する、ゲオルギア砂漠の一角にあるトリアノスタウンである。あまり裕福な土地柄ではなく、オフェーリアでは『プアータウン』との蔑称がつけられている。足のついた立方体のようなウェスタンハウスが並び立っている。コールはゲオルギア砂漠の入り口にあるランケットの森、通称毒蜘蛛の森へ依頼があって足を運んでいた。依頼の内容は、毒蜘蛛の森にのみ生息する草花の回収であった。緊急の用ではなく、実験に使用するための材料であるために、依頼者からは安全を第一にと言いつけられている。コールとしては当たり前の事ではあるのだが、命の心配をされて嫌がる人間はあまりいない。それに、コールもこの毒蜘蛛の森にある遺跡を 前々から探索してみたいと思っていたので、ちょうどいい依頼であった。目的の草花も採集できた上に、貴重な遺跡を目の当たりにできたし、面白い物も入手した。コールとしては文句ひとつない、いい旅であったのだが、最後の最後で憂き目にあってしまった。
 ――ここまで辛気臭い町とは思わなかったな。廃墟の方がまだ活気があるぐらいだ。
 そう思いながら、コールは安酒を一気に煽った。口内から食道をアルコール消毒されているみたいだ、とコールは内心毒づいた。床に置いてあるリュックサックを足でこつん、と蹴った。硬い感触がはねかえってくる。毒蜘蛛の森で見つけた面白いものをつめた瓶だ。あまり強く蹴って中身が流出すると大参事を引き起こしかねないな、とは思ったが、コールはもう一度、瓶の在り処を探るように、こつん、と蹴った。
 突然、重い沈黙のカーテンを、馬の嘶きが引き裂いた。陰鬱な雰囲気をまとっていたマスターが一変した。拭いていたグラスを床に落とし、甲高い声で叫びながら、店の奥へと逃げ込んでしまった。カウンターの端で酔いつぶれていた男もばっと頭を持ち上げ、アルコールで赤ばんでいた頬を真っ青に染め直すと、急にひどいパニックを起こしながら店を飛び出していった。
 野太い男の怒声が外から飛び込んできた。何を言っているのかさっぱり分からないほど、野蛮な怒声であったが、とにかく異常な事態になっていることには違いなかった。コールは慌ててリュックサックの両紐を片方の肩に纏めて背負い、店から出た。
 店の外では、馬に乗った男が二人、道の真ん中にへたりこむ三人の家族の周りを囲むように走りまわっていた。馬に乗った小太りの男が、奇声を発しながら、腰につけたガンベルトから銃を引き抜くと、曇天に向かって発砲した。耳をつんざくような轟音が後に続く。父親と思わしき男が、妻と娘を庇うように、もしくは小さな動物が身を寄せ合うように、抱きしめた。母も屈んで娘の肩を強く抱いており、娘は何もできずに下を向いていた。
「お前ら、今月の貢ぎモンはどぉしたぁ?」
 もう一人の痩せぎすの男が父親に向かって話しかけた。
「もう、うちには家財道具もありません……これ以上は……」
「いけねぇなぁ。そいつはいけねぇ。生活ができねぇもんなぁ」
 痩せぎすの男が演技っぽく同情してみせた。肩をすくめた痩せぎすの男を見て、小太りの男がケタケタと小悪魔のような笑い声をあげた。
「はい……」
「でもよ、それはみーんな同じなんだよ。同じルールで、同じ量を回収してるワケ。お前らだけ見逃すわけにはいかねぇんだよな」
「そうそう、ヒャッヒャッ」
「でも、これ以上は……」
「あるだろぉ? 自分の足元見てみろよ」
 父親は一度視線を落とし、はっとした顔になった。みるみるうちに青ざめていくのが、コールにも見て取れた。母親は「それだけは、それだけは」と娘を強く抱きしめながら呪文のように繰り返していた。
「この子には、この子には手を出さないでください! 私はどうなっても構いません、ですから、どうかこの子だけは――」
 父親は力の限り叫んだ。青ざめた顔の中にも、目だけは火が灯っているようであった。小太りの男はまたもけたたましい笑い声をあげ、曇天に向かって届くはずの無い鉛弾を撃ち込んだ。
「いやぁ、どうにもこうにも、こいつぁルールなんだよ。俺達にはどうしようもねぇ」
「この子はまだ十にもなっておりません、どうか、どうか」
 母親が悲痛な声でそう言った。
「ヒャッハッハ、そういう趣味のヤローもいるってこった」
 小太りの男がさも楽しそうに言ってのけた。母親は気を失って、ふらりと、娘によりかかるように倒れてしまった。
 なんて下衆な連中だ。コールは憤りを感じずにはいられなかった。そしてコールははじめて、両親に挟まれた娘の顔を注視した。両親とよく似たくすんだ金色の髪、伏せられた目は父親ゆずりの青い目をしていた。まだあどげなさが残る顔立ちには、いかなる感情も籠められていなかった。まるで人形のようだった。
 その瞬間であった。髪色も目の色も、顔立ちも表情も、何もかも違うはずのその娘に、自分の妹の面影が重なった。コールは雷に撃たれたような衝撃と、激しい動悸を感じていた。一体どういう心的原因があってそうなったのかは分からないが、一度視えてしまったものは、その払拭しようのない強烈な印象は、コールにナイフを取らせるのに十分なエネルギーを生んだ。
 コールはリュックサックを下ろし、店先でナイフを取りだした。ナイフというには幾分長いが、刀剣にしては短すぎる。それがコールの愛剣であり、いくつもの危機をこれで乗り越えてきていた。くすみも曇りもない鏡面のような刀身が、コールの顔を映しだした。自分の顔が珍しく憎悪に歪んでいた。コールは目を逸らし、刀身に刻まれたルーンを確認した。非常用とはいえ、一文字でも欠けていれば意味を為さないため、コールはこのナイフを抜くたびにルーンの表記を確認する癖をつけていた。一文字もかすれていないルーンを確認すると、さらにコールはやや黄ばんだ液体の入った小瓶を取り出し、それをナイフに垂らした。
「さて、悪いけど、今月の分はきっちり回収されてもらうぜ」
 痩せぎすの男は馬の速度を緩め、馬から飛び降りた。小太りの男はまだ四人の周りをぐるぐると走りまわっている。コールはタイミングを掴んで、そのサークルの中へと猛然と駆け寄っていった。小太りの男はクエッション・マークだけを器用に奇声に乗せたが、痩せぎすの男の耳には届かなかったらしい。
 コールは痩せぎすの男の背後をとり、即座に左腕を締め上げた。そして、呻き声をあげる男の首に、ナイフの先端をつきつけた。
「今月はお前の命を献上するそうだ」
 コールは憎悪に満ちた声音で、しかし冷静な調子のまま、言った。
「おい、俺達を誰だと思ってやがる。俺達ぁ強欲」
 痩せぎすの男は渾身のドスを利かせた――しかしどこか上ずった――声で脅してきた。だが、コールは怖気づくことなく、ナイフの先端を男の首に突きあてた。銀色は器用に首の皮一枚だけを破くと、その先端を僅かに赤く染めた。男は今度こそ上ずった声で悲鳴をあげた。
「そんなことは聞いてない」
 だん、と地面を踏みならして、小太りの男が馬から降りた。
「調子に乗るなよ、このアマがァ!」
 かち、と撃鉄をあげる音が、乾いた風に乗って響き渡る。コールは痩せぎすの男の拘束を解き、屈みながら反転した。小太りの男はすぐさま銃口を向け直したが、コールの俊敏な動きに対応することができず、懐に入ってきたコールに右腕を軽く斬られた。
 斬りざまにコールは小太りの横を駆け抜けた。小太りの男は斬られた二の腕を一度抑えた。だが、傷は非常に浅く、腱が切断されたというわけでもないらしいことに気付き、にやり、と口元を歪めた。
「アマちゃんが! そんなに血を見るのが怖いか!」
 小太りの男は振り返ると同時に引き金を引こうとした。しかし、男は引き金にひとさし指をかけたまま、ばたり、と横に倒れこんでしまった。石像のようにピクリとも動かず、ただ口から弱い呼吸音を発するのみとなってしまった。痩せぎすの男も同様に、空を仰ぎ見たまま、漏れるような呼吸を繰り返すのみであった。

「ここから南へ数キロ行ったところに、毒蜘蛛の森があることは知っているだろう? その毒さ。古くから使われている毒でね、私も行ったついでにちょっと生成してきたんだ。誰が呼んだか、『ゴルゴンズ・アイ』。神経系の毒でね。ちょっとでも血流に混じれば、全身の神経系統が破壊され、体を自由に動かすことができなくなる。この毒性は熱に非情に弱いため、現地民――とっくに滅びているがね――は猟の際にこの毒を使っていたと思われる。事実、遺跡にはこの毒の生成法が書かれた壁画が残されている。……ああ、安心していい。蜘蛛が噛むよりも微量だから、一時間もすれば痺れは取れるさ。その間にどうなるかは、まぁ、想像通りだろうけどね」
 コールは一通り解説を終えると、ナイフを振るって付着している毒液を飛ばした。踵を返して早足にその場を去ろうとしたが、歓声をあげる町人達に、今度はコールが囲まれてしまった。




 さきほどとは打って変わり、閑古鳥の鳴いていた酒場には人々が溢れ、誰もが明るい顔で騒ぎ、ジョッキになみなみと注がれたエールやウィスキーを煽っていた。途端にアルコールの匂いに満ち満ちて、コールはそれだけで酔っぱらってしまいそうになっていた。コールの前にもなみなみと注がれたウィスキーが置かれていたが、もう一度飲みたいとは思えなかった。二人を始末したあと、コールは町民に酒場へ押しやられてしまった。コールはあの三人の家族のことが気がかりであったが、当の家族はこの勢いに乗じることなく、どこかへ去っていってしまった。麻痺させた乱暴者二人は、縄でしばられ、牢に入れられたらしい。どのタイミングで退散するかと策を練っていると、ひょろりとした若者が 赤ら顔でコールの隣に座った。
「ねぇちゃんつぇぇなぁ」
 本日百度目を越える発言であった。コールはどうにも上手く表情を作ることができずに、笑っているようにも泣いているようにも見える奇妙な表情で、お茶を濁す他なかった。他にも嫁にこないか、との誘いもかけられたが、もちろん断った。半ば冗談で、半ば本気の眼の色が怖くてしかたなかった。
「アンタ、旅のモンだろ。服装みりゃあわかるんだ」
「ああ、そうですか」
「こんな寂れた町まで一体、何の用だったんだい?」
「毒蜘蛛の森の調査だったんです」
「ああ、道理でつえぇえワケだ」
 軽快な笑い声をあげて、若者はジョッキを垂直にして飲んだ。しかし、ふらついているところを見ると、酒が特別強いというわけではなさそうだった。
 酒場を見渡すと、既に酔いつぶれて寝ている者が多く、この馬鹿騒ぎも終局に向かっているようであった。日はすでに落ちている。コールはもう潮時だろうと、黙って席を立った。それを咎めようとするものはなく――もしくは咎めようとしているが、アルコールが回りすぎて言葉を紡げなくなっているのかもしれない――コールは酒気の大海を急いで後にした。今日の宿も決めていないことに、コールは今更ながら頭を痛ませていたのだ。
「ちょっとまってください」
 店を出たところで声をかけられ、コールは露骨に嫌な顔をした。また厄介なことになってしまった、と一人ごちながら、声の方を振り向いた。線のような細い目の男であった。黒い短髪であり、酒場にいる男たちとは違い、見るからに屈強そうな男であった。土埃で薄汚れてはいるものの、いい生地を使ったオーバーオールを着ている。ガンベルトもつけており、保安官の証である星型のバッチが酒場の明かりを反射して、場違いな輝きを放っていた。
「どうかなされましたか?」
「町長がお呼びです」
「町長? 何故?」
「この町に関することで、ご相談があるとか。至急の用ですので……」
 コールのレーダーはすでに厄介事の気配をキャッチしていた。面倒なことになってしまった、と後悔するも、時すでに遅し。コールは深く息を吐き、夜の空気を吸った。酒場からあまり離れていないせいで、肺の奥深くまでアルコール消毒されたような気分になった。
 トリアノスタウンはかなり小さな町である。町というよりかは、ここからさらに西へ向かうための中継地点としての休息所のようなものであった。それもそのはず、この辺りは一帯砂漠であり、貧相な麦しか育たない上に、これといった名物もない。町が大きくなる理由がないのだ。町長のいる役場も、酒場からあまり遠くない場所にあった。普通の一軒家と特に変わったところは見受けられず、内装も特に変わったところはない。男に連れられて、コールは無人の受付と待合室を抜けた。一枚のドアをくぐると、そこは町長室であったが、一切の装飾品は無く、ただデスクと本棚があるだけの殺風景な部屋であった。
 デスクの向こうには、そびえたつ壁のように大きな背もたれが見えた。誰かが座っていることは、雰囲気で分かった。細目の男は町長室にコールを入れると、黙って部屋から出ていってしまった。ぱたり、とドアが閉まる音を聞いてから、町長は椅子をくるりと回転させて、コールと対面した。白髪交じりの髪をオールバックにした、五十代半ばと思わしき男であった。口元には胡散臭い笑みを浮かべているが、頬がひどくこけており、生気というものをあまり感じさせない。
「やあ。はじめまして。私がこのトリアノスタウン町長のグレイ・マッケンローです」
 グレイと名乗った男は、椅子から立ち上がり、握手を求めてきた。コールはそれに応えながら、口を開いた。
「コール・ハレーです」
 握手を終え、グレイはまた椅子に座った。
「コール・ハレーさん。いやはや、あのサイモン盗賊団を二人もやっつけられたそうで」
「サイモン盗賊団? ああ、あいつらですか」
「ハレーさんは造作もなく倒しましたがね、あの男達――ジミー・ストリングスとスティーブ・ジャンクスは、サイモン盗賊団の中でもとびきりイカれた男達でした……。特にあのスティーブ・ジャンクス――痩せている方です――は団長であるサイモン・ハートの右腕です。並みの人間じゃ勝てません」
「騙し打ちでしたから。まともにやりあっていれば、勝てたかどうか」
 社交辞令的にそういうコールではあったが、本当に負けるとは思っていなかった。奥の手であるルーン魔術を使えば、よほどのことがない限り負ける要素はない。それに、ナイフの扱いも、王宮騎士程度ならば捌ききれる自身があった。
「ハレーさんは、何故この町に?」
「毒蜘蛛の森に関する依頼がありまして。急な仕事ではないので、ここらで一泊してから引きかえそうと思ったのです」
「依頼……といいますと、どこかのギルドに所属しておられますのかな?」
「はい。一応、ですが」
 グレイは机の上で手を組み、しばらくコールの眼をじっと見つめていた。髪と同様に白髪まじりの眉を寄せて、思案するというよりも、言いだすタイミングをはかっているようにコールは思えた。
「コール・ハレーさん。貴女に頼みたい事が――あなた達風にいえば依頼があります」
 コールのレーダーは、悪い予感をしっかりと反映していた。これ以上踏み込まずとも、すでに厄介事から逃げられない状況下にいることをコールは理解できていた。
「……伺いましょう」
「サイモン盗賊団を始末してほしいのです。それも、早急に」
「さきほどから仰られている、サイモン盗賊団というのは……?」
「別段変わったことはところのない、どこにでもいるような盗賊団です。団員は二十数名、団長はサイモン・ハートと呼ばれる大男です。ここから東へしばらく走ったところにある洞窟を住みかをしております」
「二十数名ですか……」
 どれほど広い洞窟かは分からないが、何もない野原で二十数人に囲まれるよりかはマシだが、さすがに一人で向かうには厳しい人数であった。一度オフェーリアに戻って、パーティを組まなければ無理だ。そうなると、寝ずに馬を走らせても往復に三日はかかるだろう。その旨を告げると、グレイは居ずまいを正して、幾分刺のある声音で言った。
「さきほど、私は依頼、と申しました。しかし、それは建前上の言葉にしかすぎません」
「それは、どういうことです」
「貴女は行動の責任を取らなくてはならない、ということです」
 コールは顔には出さなかったものの、むっとした。
「婉曲的すぎて、よくわかりません」
「二人やられたとあれば、彼らは二人を――スティーブ・ジャンクスを取り返しにくるでしょう。それも建前です。彼らは甘くみられてはご飯がありつけない人種……盗賊団とはそういう連中です。おそらく、今回の件で、この町を壊滅的な状況まで追い込むでしょう。今までも町の若い娘が幾人も攫われました。しかしそれはあくまで徴収だったのです」
「貴方の言い方ですと、抵抗するぐらいなら、あの盗賊団に絞りとられ続けた方がマシだ、という風にも捉えられますが」
「下手な抵抗は首を絞めることになる、ということです。今まで何度も反撃にでました。しかし、どれも実を結ぶことはなく、それどころか、さらに状況は悪くなる一方。ハレーさんをここまで連れてきた男、保安官バッチを付けておりますが、実を言いますと、あれは彼の兄の物なのです。彼の兄が保安官だったのです。初めてサイモン盗賊団がきた日――もう半年以上前になりますか――彼はまっさきに立ち向かっていったのです。言うまでもなく、敗北し、最後には殺されました。それからも、反撃の狼煙をあげた者はひどく痛めつけられ、処刑されてきました。……もうこの町に抵抗できるだけの力、情熱をもった人は、ただの一人もございません。さきほど言った通り、下手な抵抗は首を絞める、 と覚えさせられているのです」
「……では、何故今更私にそのような依頼を?」
「火は早めに鎮火しなければならないのです。貴女が彼らを倒せたなら万事解決ですが、そうでなかった場合、私は町長として、町民を守るために、『これら一連のできごとはコール・ハレーという部外者が勝手に手を出した』ことにしなくてはならない。そして報復の被害を少なくするためにも、貴女には先行してもらわなくてはならない……」
 コールは心の大部分はこのふぬけた、後ろ向きな姿勢に苛立ちを覚えていた。だが同時に、心の冷めた部分では、秩序を守る者としては最善の策だと、感心している自分もいることを無視するわけにはいかなかった。
「もちろん。我々としても、勝っていただきたい。いえ、勝つ勝算は大いにあると、そう考えています。そのためには微力ながらも、力を貸す所存でいます。彼にかかった賞金についてもお渡しいたします」
 グレイはそういって、一枚の紙をデスクにだした。肥えてはいるが、壮健さを秘めている、ちょうどラグビーやアメフトの選手を彷彿とさせる顔立ちの男の顔写真が張ってある。スキンヘッドであり、頬にハートマークの刺青が彫られてあった。なるほど、苦労しそうだ、とコールは痛む頭を手で押さえながら、目線を動かす。写真の下にはサイモン・ハートという名前と、一つの自然数と、続いて幾つものゼロが書かれてあった。コールの年収どころではない。オフェーリアのサラリーマンの生涯賃金二人分である。法外だ。コールは我が目を疑い、ゼロの数を何度も確認した。
「……払えるのですか、この金額を」
「成功すれば、工面しましょう」
 グレイの顔に、汗が浮かんでいた。底冷えする砂漠であるのにもかかわらず、だ。コールは一度、呼吸を止めた。イヤに心臓が高鳴っている。これだけ莫大な金を掛けられるほどの強敵と、戦わなければならないという事態に追い込まれしまった事実に。
「……引き受けましょう」
 しばらく、しん、とした静寂が降りた。グレイは額にかいた汗をハンカチで拭い、両目を手で覆っていた。コールはデスクに置かれた紙を手に取り、もう一度顔をよく見た。そういえばギルドの酒場で同じ紙を見たことがあったことを今更思い出し、迂闊だったと反省した。しかし、おそらく自分は知っていてもおなじ事をしたであろう。あんなことがあったからには、とコールは苦虫を噛みつぶしたような顔をして、紙を握りつぶした。
 それを批判と受け取ったのか、グレイはそのままの姿勢で、ぽつり、と話し始めた。
「…………腰抜けだとお思いでしょう。嫌なヤツだとお思いでしょう。それは結構です。私を怨むといい。しかし、これだけは胸に留めておいていただきたい。私はこの町人全員の命を預かっているのです」
 町長が悪いわけではない。ある意味、起きた事が歯車のように噛みあって、この結果を生みだしたのだ。もしも神サマがいて、シナリオを書いているのなら、少し憎い。あんなものを見せられたら、私は動かざるを得ないじゃないか。普段の私なら、厄介事に真正面から斬り込むことはしなかった。ひっそりと、蜘蛛のように罠をしかけただろう。それをさせなかったのは、私を内側から無理矢理つき動かしたのは、あの幻影だ。
 コールは無意識に、目を閉じた。そこに妹の幻影はなく、暗闇だけが浮かんでいた。



 依頼内容を詳しく聞いているうちに、時刻は十二時を回っていた。代えのナイフや馬は貸せるが人手は貸せないということで、電撃作戦を行うことになった。 電撃作戦とはいうが、その実ぶっつけ本番の正面突破であった。唯一電撃な部分があるとしたら、『ゴルゴンズ・アイ』を使って痺れさせる部分だろうか、とコールは自嘲した。あの二人組は徴収ついでに朝まで騒ぎたてていたので、サイモン盗賊団が異常に気付き、深夜に襲撃してくるということはないようだった。
「あと、私達にできることは……これぐらいです」
 グレイはそういって、机の引出しから一つのバッチを取りだした。保安官のバッチとよく似ていたが、角と角を結ぶ線が浮き出ており、星型というよりかは五芒星のように見えた。コールはそれを受け取ると、光に当てて見た。やはり、五芒星となっている他は特に何の変哲もない、金色のバッチであった。
「これはお守り程度ですが、どうか」
「では、遠慮なく」
 コールはそれを受け取り、胸のところにつけた。
「そうだ。今日の宿はお決まりですかな」
 宿を決めようとしたところで邪魔をされたのだ、とコールは言葉には出さなかったものの、毒づいた。これから寝るとしても、早朝に襲撃するために三時間も眠られないのだ。旅疲れの上に碌な睡眠も取れずに盗賊団を壊滅させろなどと、思い返してみれば随分としたたかな町長である。
「……いえ、まだ」
「ならば、今日はアートマン家にお世話になるといい。今日の礼がしたいと言っておった。斜向かいの家がアートマン家だ」
「そうですか。なら、お言葉に甘えましょうか。では失礼します」
 そういってコールは身を翻し、脇目もふらずに町長室をでた。


 待合室では、あの父親が顔を伏せ、座って待っていた。幸の薄そうな顔立ちに、くすんだ金色の髪は軽いパーマがかかっているように見える。淡い夜のような青い目が、やはりコールには印象的だった。
 父親はコールに気付くと、顔を上げて、バタバタと音を立てながら近づいた。そしてコールの手を固く握ると、膝を曲げて、「ありがとうございまず、ありがとうございます」と念仏のように繰り返していた。声が震えており、近くで見れば、目は真っ赤に泣き腫らしていた。コールは驚いて少したじろいだ。
「いえ、大したことではございませんから。えーっと、アートマンさん」
「ああ、申し遅れました。ジブラ・アートマンと申します。ささ、お疲れでしょう。今夜はウチに泊まっていってください」
「ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきます」
 それからコールとジブラは箱のような役場を出て、アートマン家へ向かった。他の家と何ら変わりない、普通のウェスタンハウスであったが、その中の惨状にコールは度肝を抜かれた。何もないのだ。家具も調度品も、一切見当たらない。どこもがらんとしていた。人の住んでいる空気が感じられなかった。しかし、コールが今日泊まる二階の部屋には、それなりの寝具が用意されていた。枕もとには小さなランプも置いてある。しかし、それ以外には何も無い伽藍のような部屋であった。あくまで直感だが、これはアートマン家のものではないような気がした。無理矢理書きたしたような違和感が隠し切れていない。しかし、翌朝に襲撃をしかけるのだから、これぐらい落ちつかない方が、かえっていい のかもしれなかった。
 家の中は誰もいないかのごとくしずまりかえっており、どこか廃屋を思わせた。
「私達にできることがあれば、何でもお申し付けください」
 ジブラにそう言われ、コールは夜が明ける前に起こしてもらおうかと思ったが、不摂生をさせれば次の日にはバタンと倒れてしまいそうな彼を使うことは、コールの良心がとがめた。そこで、コールは軽くて扱いやすい投げナイフと丈夫な革を彼に取って来てもらい、その間に準備を整えることにした。
 ランプの灯りで愛剣を照らしながら、刃こぼれがないか入念に確かめた。二組を倒したあとに洗浄しきったつもりだったが、先端付近に刻まれているルーンに血が残っていた。それから左手で宙にルーン文字――ラグズの一文字を描いた。すると、コールの左手に野球ボールほどの水球が現れた。コールはそれにナイフを突き刺し、黒く変色した血を洗い流した。シングル・ルーンならば体にそれほどの負担はかからないが、心臓を冷たい手で軽く掴まれているような痛みとうずきがあった。
 ぎし、と木の板が鳴った。コールは音の鳴ったドアの方へ眼をやると、半開きになったドアの陰から、娘がこちらをじっと見つめていた。

父親と同じ色の目は、おびえているようでもあったが、無機質なレンズのようでもあった。こうしてじっくりと見てみても、シアとは似ても似つかない。シアの十分の一の愛想の欠片も感じられなかった。
「どうしたの、お嬢さん」
「……シフォン」
「シフォンちゃん」
 コールはかみしめるように言った。名前は少し似ていなくもなかった。
 シフォンは、床板を僅かなに軋ませながらこちらまで歩いてきた。やせ細った影が、壁に投げ出される。コールの目の前に立ったシフォンは、表情の変化が認められず、人形のような印象を与えた。
「どうして、助けたの?」
 起伏のない、平坦な声だった。言葉が詰まりかけたが、やましいことでもないので、素直に答えることにした。
「シフォンちゃんが、ちょっと妹に似ていたのよ。だから、なんとなく、ほっとけなくて」
「妹に似ていたから、ほっとけない」
「そう」
「妹が好きなの?」
「そうね。もう居なくなっちゃったけど」
「それが、理由?」
 機械で合成した音のような平坦な声であったが、なにか含みを感じさせた。
「ええ。それが理由よ」
 シフォンはコールの目を凝視していた。言葉の真偽を確かめるように、コールの奥に潜むものを探りあてるように、自らの意思を伝えようとするかのように。しかし、コールには彼女の目の奥に潜むものを探り当てることはできなかった。その間の静寂は部屋の中の温度を奪い去っていくようであった。
 シフォンは諦めたように目を伏せて、言った。
「――でも私は妹じゃない」
 コールは言葉を失った。しばらく、その水晶のような目と向きあっていたが、その奥に潜むものが、ちらりと姿を見せたようで、そのうち目を逸らしてしまった。
 この町の夜は、とても静かだった。時折、風が家鳴りを起こすだけで、その他の音は何一つ聞こえない。
「殺された保安官も、似たようなことを言っていたの」
 シフォンは床板を、やはり感情の薄い水晶の目で見つめながら、ぽつり、と独白するように言った。
「そんな幻に惑わされて、死なないでよ」
「幻って、それじゃあシフォンちゃんは」
「私達が酷い目に遭うのは、結局、私達の所為なんだから。貴女が犠牲になる必要なんてない」
「……私が、あの盗賊団を倒せば、そうならなくて済む話じゃないの?」
「アリババが盗賊団に勝てたのは、あれが作り話――」
 シフォンの次の句を阻むように、コールはナイフを宙へ投げた。赤い炎が弾け、一瞬の花が咲いた。シフォンはあっけにとられ、口を開いたまま、言葉が発せないでいた。コールは落ちてくるナイフを綺麗にキャッチすると、右手で曲芸のようにナイフを回し見せた。
「事実は小説より奇なり、ともいうわね」
「そんなの、ただのレトリックよ」
 自分を取り戻したシフォンが、今度は僅かに眉根を寄せて、言いかえした。
「まったく、可愛げのない子だな」
 コールはナイフをしまうと、肩をすくめた。シフォンは踵を返すとさっさと部屋をでていってしまった。



 およそ午前三時。まだ日も明けぬ早朝にコールは町をでた。アートマン家の前に繋がれていた馬にまたがり、日が登る方向へ馬を走らせていた。夜明け前とあって辺りは暗く、切り裂くような冷たい風がコールの頬を横切っていった。掲げているランタンの光は赤茶けた地面を濡らしていた。ひどいアレ地であった。ぺんぺん草も生えないとはこの事だ。
 一時間も走っていないうちに、コールの目の前に切立った崖が現れた。ぽっかりと穴をあけた入り口からは灯りが漏れている。さらにコールは馬を走らせ、東の空が僅かに霞んできた頃、ようやく崖の麓にある入り口前に到着した。随分と不用心なようで、入り口に誰も見張りはたっていなかった。コールは馬からとび降りた。躾がされているようで、馬はそこから動かずにじっとしていたが、それも時間の問題だろう。ランタンの明かりの下で、『ゴルゴンズ・アイ』をナイフに塗りつける。ジラフが持ってきた十本の投げナイフにも同様にした。愛用のナイフは手にもち、他のナイフは即興で作ったホルダーに指した。そのせいで、結局コールは一睡もしていない。
 コールは一つ息をつき、ナイフに魔力を籠めた。いくら強力な神経毒が塗られたナイフがあるとはいっても、囲まれれば敗北は必至だ。正面突破を図ることには違いないが、何も同じ速度で相手をしてやることはない。
 ――足の裏で空気を圧縮させ、一つの方向へ放出する。
 コールはたった一歩踏み出すだけで洞窟内へ潜入した。洞窟は奥行きがほとんどなかったが、幅だけはあった。数か所で焚き火がされており、酒瓶が転がっている。確かに二十余名ほどのならず者がいるようだった。突然の乱入者に盗賊団は誰も驚愕し、硬直していた。コールはホルダーからナイフを二本取りだすと、手首のスナップだけで投擲した。ナイフは空を切りながら、男二人に直撃した。そこで、空気が爆発した。他の盗賊団員達が雄叫びをあげたのだ。それぞれに口汚い言葉を吐きながら、それぞれに武器を手に取り、コールに押し掛けてきた。
 コールはとん、と地面を軽く蹴って飛びあがった。男達はほとんどノーアクションで宙に浮いたコールをみて、またも呆気にとられていた。コールは宙で一回転をきめながら、ホルダーにあったナイフをつぎつぎと投擲した。それは落下するだけではなく、意思をもつ生き物のように宙を駆け、次々と男達の肌を斬りまわった。
 コールが地面に再び降りた時には、立っている男は誰ひとりとしていなかった。しかし、倒れている男達に、サイモン・ハートらしき人物はいなかった。
 すると、奥の壁が音を立てて二つに別れた。その中から、二メートルはあろうかという巨人が現れた。その部屋には金目のものが散乱しているのが、ここからでも分かった。町の人間とは対照的に肥太っており、顔は脂ぎっている。しかし、その眼光は鋭く、野生の肉食獣を思わせた。
「お前がサイモン・ハートか」
「ああ、そうだ。随分と手荒いようだが、一体どこのどちら様かな……いや、どこかは、言わなくていい。そのバッチで分かった」
「そうか。私はコール・ハレーという。このまま大人しく御縄についてくれるなら、それに越したことはないのだが……」
 サイモンは傍らに立て掛けてあった、巨大な棍棒を手に持つと、ぶん、と軽々しく振った。生じた強風がコールの髪を乱して通り過ぎた。
「俺はあいつらほど、ヤワじゃあねぇぜ。試してみるといい」
 そういって、サイモンは一歩大きく踏み込みながら、掲げた棍棒を地面に叩きつけた。コールは横に避けたが、砂埃が目に入り、反撃ができなかったばかりか着地の際によろけてしまった。好機と見たサイモンは腕を引き、今度は棍棒をコールの頭目がけて突きだした。
「燃えろッ!」
 コールの掛け声とともに、ナイフのルーンが赤く光った。心臓に死に神の骨ばった手がかかった。コールの周りに炎の渦が起こり、突き出したサイモンの棍棒は一瞬にして炭化してしまった。
「ほう、シーフかと思ったが、見当違いだったか」
 サイモンは先が焼かれた棍棒を投げ捨てると、指を鳴らしてみせた。すると、地面がもりあがり、同じような棍棒が浮きあがってきた。サイモンはそれを手に取り、ぶんと素振りしてみせた。いい感触が返ってきたのか、サイモンは一度大きく肯いた。
「これで炎は通じんぞ。どうする、魔術師」
 そういってサイモンは棍棒を振りかぶり、ボールを投げるように、棍棒を投擲した。コールは呆気にとられかけたが、ナイフに魔力を籠めて即座に水の障壁を形成し、百キロ近い速度でやってくる棍棒に対処した。心臓に死に神の手が食いこむ。激しい痛みと、死の冷たさに襲われたが、何とか気を保って立ちつづけた。
 それを見てサイモンは、ひゅう、と口笛を吹いた。
「中々やるじゃないか、魔術師。申し分ない、こちらに寝返らんか?」
 そう言ってサイモンは両腕を広げて、歓迎のポーズを取って見せた。コールは一度ナイフを降ろした。一度休息を取るに越したことは無い、それに心臓が締め付けられるように痛んでいた。死に神は、すぐそこまで迫っている。
「私はお前の仲間を一網打尽にしてしまったのだぞ?」
「構わん。負けた方が悪い。それに、こんな協調性のないチンピラと、一騎当千、万夫不当の豪傑ならば、天秤は後者に傾く。必ずな」
「随分と薄情じゃないか」
「リアリストなんだ」
 コールは一つ深呼吸をした。酒の匂いと土埃の匂いが混じった、マズイ空気を肺に溜め、吐きだした。
「いつ裏切られるとも分からんやつの下に入る気はない!」
 コールはナイフをその場で振るった。傍から見れば空ぶりにしかみえないそれだが、魔力によってカマイタチという見えない刃が造られており、恐るべき速さでサイモンの右腕へ向かって飛んでいく。死に神の手が心臓を握り潰さんとばかりに圧力をかけていたが、コールは勝利を確信していた。
 しかし、カマイタチはいつまでもサイモンの腕を斬り飛ばすことはなかった。
「交渉決裂か。残念だ。だが、これで大方の予測はついた。お前が使えるのは四大元素の空気、火、水。土は専門外と見た」
「い、一体、どうして……」
「魔術はマナが形を変えたものに過ぎない。魔術の根源はマナであることが魔術の決定的な利点であり、また、決定的な弱点である。小学校で習わなかったのか?」
 放ったはずの魔法が消える。それができる方法をコールは知っていたが、信じられなかった。心臓の圧迫に立っていられず、膝を屈した。はらり、と青い髪が地面に垂れる。ひどい視野狭窄。意識が黒く反転しようとしている。
「打ち消し魔術。編まれたマナを元に戻す高等魔術――。これでもアカデミーの主席だったんだ。どいつもこいつも見た目に騙されて、得意げに魔術を放ってくるのさ。これをされた時は、どいつも間抜け面を晒すハメになる」
 そういって、サイモンはポケットから小瓶を取りだし、コールの顔近くへ投げつけた。ガラスが飛び散り、コールの頬に一筋の赤い線が走った。中身の液体が地面に吸い込まれ、独特な匂いがコールの鼻をついた。これは危ないものだと直感し、風で散らそうとしたのだが、すでに魔力を練ることはできなくなっていた。






 日差しは温かだが、風には冬が生き残っていて、頬を撫ぜるたびに体温を少しずつ奪っていった。町を出て数分歩いた先にある丘陵地帯では、淡い暖色の花が辺り一面に咲き誇っている。そしてその中に、花の妖精のような少女が座り込んでいた。空を閉じ込めたような青い髪に、熟成したワインのような赤い目。透きとおっている白い肌は、儚げな雪のようだった。その光景は、まるで完成された一枚の絵画のようであった。彼女こそシア・ハレー。ベッドから抜けだした妹であった。
「こら、シア。あれほど勝手にベッドからでるなと言っただろう」
 声をかけてようやく、シアは私の存在に気付いたようだった。私は少しむっとしていた。病気もまだ治りきっていないのに、これでぶり返したらどうするんだ、とお小言をくれてやろう、と思っていた。彼女は顔を上げて微笑むと、柔らかそうな唇を開いた。
「ごめんなさい。つい、天気がよかったものだから」
 陽だまりのような彼女の声には、いつもほだされてしまう。さっきまでは頭のメモ帳に書き連ねていた小言の数々は、春風のような彼女の声に散らされ、遠くへ飛ばされてしまった。宙へ消えそうなそれらを、大急ぎで、一つだけ掴んだ。
「……出る時は一声掛けてくれ。心配するだろう」
 私は屈んで、シアの頬を触る。こうして触れていないと、彼女が消えてしまうのではないかと半ば本気で思ってしまうほど、彼女の存在感は希薄だった。目を閉じて、再び開いた時には、初めからそこに居なかったように、風景が広がっているのではないかと、思わずにはいられない。その所為か、私は彼女の一部に触れている癖がついていた。彼女の頬から伝わる体温は低く、すぐに温めないとまた風邪をぶり返してしまうのではないかと心配になった。
 不意に、頭に何かが乗っかった。
「お花で、かんむりを作っていたの。お姉ちゃんに似合うと思って」
 そんなことない。シアの方が似合う、と言い返したかったが、シアの嬉しそうな顔を見ると、何も言えなくなってしまう。私は紅潮しているであろう頬を隠すために、そっぽを向いた。くすくすと、シアが笑っているのが分かる。いつの間にか、私もつられて、同じように笑いだしてしまっていた。
 だが、しばらくもするとシアの笑い声が止まり、小さく、しかし苦しそうな咳をしはじめた。私はシアの小さな、冷たい手を取った。
「さて、もう帰ろうか。まだ少し寒いからな、長居はよくない」


 私とシアは、異父姉妹だった。しかし、どちらとも母の遺伝子を色濃く反映したために、青い髪に赤い目をしていた。あの母と同じ特徴を引き継いだと思うとこれ以上なく忌々しいが、妹と同じモノだと思うとこれ以上なく愛おしくなった。子供っぽいとは自分でも分かっているが、母のことはどうしても好きになれないし、妹のことを嫌いになることは絶対にありえなかった。
 母は特に何をするでもない、ただの娼婦紛いだった。寄生虫のような、吐き気がするような、最低最悪の人間だった。どこからか男を連れて来ては、安っぽいハリボテのような生活を始め、最後に舞台を全てブチ壊す。その無意味な破壊と創造のサイクルを繰り返すだけの、下らない人間だった。私はそんな彼女が大嫌いだった。
 私は物心ついた時から、遺跡に強く惹かれていた。理由は今でも分からない。ただ、写真や文字から伝わってくるその退廃的な空気が、私を恍惚とさせた。その空気の中にいる間、私は世の中の煩わしいこと全てを忘れられていられた。そんな私を現実に無理矢理引き戻すのは、いつも母であった。
 ――ストリートの端にある、今にも崩れそうなアパート。散らかりきった部屋の隅で、私はお小遣いを溜めてかった本を読んでいた。大人が読むような難しい本だったが、辞書とにらめっこしながらも、私は必死に読んだ。何度も繰り返しよんだために、世界地図は頭にすっかり入っていたし、どこの国のどこに何の遺跡があるかも暗記しきっていた。でも、何度読んでも、私が飽きることはなかった。次のページに何が書かれてあるのか、どんな写真や絵があるかも知っていたが、そこには確かにページを捲る喜びがあった。
 そんな私を、母は足蹴にした。
「部屋の隅で縮こまってないで外に行って金になることでもしてきな。何度おんなじ本を読むつもりだい?」
 そういって母は私の手から遺跡の本を取り上げた。そしてライターで本の端に火をつけた。パチパチと紙が音を立てて燃えていく。


 シアは産まれつき体が弱い。それも原因不明の奇病を患っていたからだ。医者曰く、これまでに前例のない病らしい。要するに、不治の病であった。免疫不全なのだそうだが、今までのどんな型とも違うらしい。医者は、十歳の誕生日を迎える前に死んでしまうだろう、と宣告した。
 入院させるほど私の家は裕福ではなかった。そして母は病弱な妹の面倒をみることを放棄し――私すらネグレクトしているのだ、当然の帰結といえる――シアは狭い物置のような部屋に置かれた、今にも壊れそうなベッドの上で寝かされていた。病弱すぎるために学校にも中々通えず、私が片手間に勉強を教えていたが、少し無理があるように思えた。
 シアは国語も算数も苦手だったが、魔法だけは特別な才能を持っているように思えた。シアの部屋で私達はルーン魔術を披露しあっていた。私は土系が使えなかったが、シアは四大元素全てを上手く扱えていた。彼女は魔法にイメージを乗せることが大層うまく、よく可愛らしいうさぎを摸した小さな花火を、狭い部屋の中で打ち上げていた。
「ねぇ、新作なんだけど、どうかな?」
 期待に満ちた目を私に向けた。
「ホントにシアはすごいな」
 私はシアの頭を撫でた。私よりも色素の薄い髪からは、シャンプーの香りと死の予感が漂っていた。私の触れると壊れそうで、触れていないとどこかに消えてしまいそうだった。シアは頭をかき、えへへ、と、照れ笑いをしてみせた。
「うさぎの尻尾は幸運の象徴なんだって。だからこの花火はおねぇちゃんにあげる」
「そうか。ありがとうね、シア」
「次はもっとすごいのを考えてるんだ」
「へぇ、どんなの?」
「この前のお花畑に、兎がとんでるの」
「そりゃすごいな、できたら見せてくれよ」


 ――雪のひどい夜だった。昨日の夜から引き続き雪が降っており、町は雪の絨毯にすっぽりと覆われてしまっていた。この世が終わったような静けさを、時折、シアの咳が破った。昨日の晩に雪が降り始めてから、シアの容態が急変した。私は学校を休み、ベッドの傍らに椅子を置き、ずっとシアの看病をしていた。ひどい高熱がでていた。これまでも高熱がでたことはあったが、今までのとは比較にならなかった。温度計が常識を逸した数値をはじき出している。氷枕もすぐに溶けきってしまう。彼女の意識も朦朧としており、声をかけても返ってこない。
「シア……」
 昨日の晩に医者を呼び、薬もその場で処方してもらったのだが、効いている様子はない。シアから、死の匂いが漂ってきていた。シアの手を握った。その熱は残り少ない彼女の生命を激しく燃やしているようで、私は怖くなった。
「シア、死ぬな……」
 私はシアの手を両手で強く握りしめた。頭の中はいろんなもので溢れていて、もはや思考は真っ白に染まっていた。彼女の手が、優しく、弱々しく、私の手を握り返してきた。
「おねぇ……ちゃん」
 彼女の目が私を捉える。朦朧としていて、焦点があっていない目。生気が感じられない、どこか霞みがかった赤い目。
「シア!」
「ちょっと前に言ってた、あの花火ね、完成したんだよ」
「無理をするな。この雪が降り終わったら、お前もきっと良くなる。だから」
 根拠はなかった。ただ、私はこの雪が、足音を殺して、死に神を不用意に近づけているように思えて仕方が無かった。しかし、シアはゆっくりと首を横に振った。自らの終わりを認めるように、シアの手の熱が、と引いていくのが分かる。同時に周囲の温度ががくんと下がった。
「駄目だ、シア」
 シアは首を横に振って、微笑んだ。
「おねぇちゃんの、行く道に、幸がおおからんことを――」
 ぱん、と乾いた音を立てて、私の目の前に小さな花火が広がった。花畑で遊ぶ二匹の兎。片方の兎は頭に花冠を被っている。繊細なビーズアートのようなそれは、刹那の時を駆け抜けると、跡形もなく消えてしまった。同時にシアの目も閉じられ、手は氷のように冷たくなった。
「シア」
 私はシアの肩をゆさぶった。シアの体は何の抵抗もなく、揺すられる。
「シア、起きろ。冗談はよしてくれ」
 シアは何の反応もしめさない。シアの頬から赤味が抜けていく。
「私を一人にしないでくれ、なぁ、シア」
 シアの体はだんだんと、大理石の彫刻のように冷たく、硬く変わっていった。
 シアは息を引き取ったのだ。その事実が、私の心を凍えさせた。
 慟哭は、残酷なまでに真っ白な雪に、ただ吸い込まれる。


 ――――。


「おねぇちゃん、私はここにいるよ」
 はっとして後ろを向くと、そこにはシアがいた。海よりも空よりも青い髪に、うさぎのような赤い目。向こうが透けて見えそうな白い肌。彼女が腕を後ろに回して、立っている。屈託のない笑みを浮かべている。頬には赤みが差している。目には生き生きとした光が灯っている。
「シア……」
 私は椅子から立って、ふらふらと歩き、シアへ近づいた。
 シアを抱きしめる。確かな感触が腕に返り、存在を証明していた。私達はいつの間にか、あの花畑にいた。春の太陽が、温かな光で花に生気を与えている。二人の頬を掠めて通る風も、心地よい陽だまりの匂いを運んでいた。
「シア、シア!」
「おねぇちゃん!」
 耳元にシアの吐息がかかる。シャンプー匂いのする髪が風になびく。
「もうどこにもいかないでくれ! 私を一人にしないでくれ!」
「うん、私はずっといるよ。永遠に」
「永遠に?」
「これからずっと、永遠に」
 私は、シアの体を離した。シアは少し、意外そうな顔をした。
「どうしたの?」
「分かってたつもりだけど。これは、辛いな」
「おねぇちゃん?」
「シアは死んだよ。だからこれは――ただの幻なんだ」
「どうして?」
 シアが悲しそうな顔をした。一度だって、彼女が悲しむ顔なんて見たことがないのに、私の想像力は妙なところで豊かだ。
「『これから』といったな。つまり、お前は――私の作りあげた幻影だ。妹じゃない」
 私は踵を返して、シアの部屋へ足を進めた。冷たくなった彼女が横たわっている。
「おねぇちゃん!」
 後ろからシアが抱きついてきた。確かな温度が伝わってくる。しかし、これは脳が視ている幻覚なのだ。これは、脳漿に守られた脳が視ている夢――趣を変えた、シュミレーテッド・リアリティなのだ。私はシアの腕を、ゆっくりと解いた。私が夢だと自覚したためか、抵抗はなかった。
「じゃあね。偽物とはいえ、会えてうれしかったよ」
 コールは部屋に足を踏み入れた。そこが現実へと戻る出口だと、コールは直感していた。ベッドで横たわるシアの頬に、もう一度手を触れてみた。氷のように冷たい。その鋭い感覚が、私をもう一度現世へと戻す――。目を閉じると現れる、瞼の裏の温かい闇に呑まれて、ここの私は意識を手放した。



「行ってらっしゃい、おねぇちゃん」



 胸元で何かが弾け、砕けた。



「もう聞いちゃいねぇだろうが、そいつはマジック・アイテムよ。人に醒めたくない夢を見させ、無意識下で行なわれる生命維持を止めさせる。俺のとっておきの一つだ。もうストックがないし、次いつ作れるかもわからん」
 コールはすでに現実で意識を取り戻していたが、わざと地面に突っ伏していた。抗体ができたのか、あの匂いでまたトリップすることはなさそうだった。さほど時間は経っていないのか、サイモンが道具を滔々と説明していた。
 ――一瞬の隙をつく。幸いにもナイフは手に握ったままだった。おそらくゴルゴンズ・アイも生きている。コールは集中する。サイモンの吐息一つすら逃さないように、聴覚を研ぎ澄ませる。
「さて、と。どうしたもんかな。子分は全員くたばってやがるし、襲撃者はここで眠っちまってるときた」
 ふぁ、と少し気の抜けた声を出して、サイモンが伸びをした。コールはその一瞬の隙を逃さず、そのままの姿勢でナイフを投げた。ナイフはサイモンの腹へ吸いこまれるように刺さり、サイモンは苦悶の声を上げながら後退した。コールは軽業師のように飛びあがり、体勢を立て直した。
 サイモンはナイフを腹から抜き、放りだした。血が噴出する。しかし、ゴルゴンズ・アイを無効化するには至らないし、その前に出血のせいでまともに戦えはしないだろう。
「このまま大人しく投降してもらおう。その毒はどんなに効いても、息の根を止めやしない」
 サイモンは豪快に笑い飛ばした。笑い声は洞窟内で何度も反響し、コールの耳を痛めた。
「知らねぇのか。なら教えてやる。俺の二つ名は強欲だ。お前に俺を奪うことなどできはしない!」
「強がるな。そのナイフには毒が塗ってあったんだ。すぐに動けなくなる」
「ならば、こうするまでよ!」
 サイモンは豪快に笑ってはいるが、だんだんと貌が青白く変色していった。これはまずい、と思ったコールはすぐさま近寄った。しかし、コールが手を触れる一歩手前で、サイモンの体はがくり、と揺らぎ、そのままの姿勢で後ろへ倒れてしまった。
 そして、静寂が訪れる。
 コールは心底呆れた様子で一言、「救いがたいな」とだけ呟いた。
 洞窟の入り口から朝日が差し込んできた。日の光は差別することなく、全てを照らしだした。二十余名の気絶した盗賊団の輩と、その頭である男一人の死体。そして、崩れ落ちるコールの姿を。




 グレイという男は本当に食えない。この成否をいち早く知るために、三人ほどの偵察をつけていたのだ。おかげでコールは一命を取り留め、盗賊団一味は麻痺から回復するまえに捕縛された。サイモンに取られた財も、だいぶ目減りしていたものの、取り返せたものは多かったようだ。彼らがこれからどうなるかは分からないが、とにかく、アートマン一家は危機から脱出することができた。
 洞窟で倒れたコールは彼らによって助けられ、アートマン家で療養させてもらっていた。あれからコールは三日三晩高熱に渡ってうなされ続け、四日目の朝にようやく意識を取り戻した。つきっきりで看病していたアートマン夫妻――ミーシャ・アートマンが、これまでの経緯を説明し、コールは改めてグレイという男に狡猾さを感じずにはいられなかった。
 意識を取り戻したといっても全快したわけではなく、コールはミーシャに剥いてもらった林檎――ウサギだった――を食べていた。胸元についていたバッチが壊れており、コールは頭が痛くなった。借りたものを壊して、気分が悪くならないコールではなかった。どうしようかと思案しながら胸のバッチの残骸を取り外しているうちに、グレイ町長が見舞いにきた。手に果実の盛り合わせのバスケットを持っていた。コールは咄嗟に「げっ」と言ってしまったが、グレイには聞こえなかったようだ。
「お疲れ様です、お身体の方は大丈夫ですか?」
 グレイは飄々とした口調で言うと、ベッド横につけてあった椅子に座った。
「まあ、そこそこです。出発はまだ無理ですが。あと……これ……」
 コールは砕けたバッチをグレイにおそるおそる手渡した。
「壊してしまってすみません」
「いえいえ、役にたったなら結構です」
「役にたつ? これって保安官のバッチじゃあ」
「いえ、これは私が趣味で作った魔除けです。自動対応の使い切りなので、使えば壊れます」
 コールは脱力した。それをみて、グレイはふぉふぉ、と笑い声をあげた。
「まさかサイモンが魔法を使うとみて渡したんですか?」
「いえ、サイモンの手下が使った時の保険にと……ん? 違うのですか?」
 コールは経緯をかいつまんで話した。妹の話はふせ、確かに醒めたくない夢をみた、とはぐらかしたが、それでもグレイには何か心当たりがあるように見えた。
「心当たりがあるんですね」
「ええ……それはこの辺りに稀に生えるサボテンから取れるアルカロイドと、魔力のこめられた水とを混ぜてできる幻覚剤です。『セイレーンズ・ドリーム』と呼ばれている、この辺りで作られていた物ですが、かなり昔の話で、もう正確な精製方法を知っているものはいないと言われていました。……いやはや、助かってよかったです」
 グレイは壊れたバッチを握りしめて、しみじみと言った。そして、今思い出したように手をぽん、と叩いていった。
「ああ、そうだ。賞金のことなんですが……」
「ああ、それなら結構です」
 そういったコールではあるが、正直、あの額を払えるほどこの町は裕福ではないことは明らかだった。町長も手前上言わなければならなかった事情があったこともあり、そもそもコールは賞金を断る気でいた。
「いえ、こちらとしても渡さないわけにはいきません。ただ、現金を用意することは難しく、捻出するにしても、この町の住民にさらなる枷を嵌めるわけにはいきません。そこで」
 そういってグレイはバスケットから一冊の本を取りだした。かなり古そうな本で、背表紙は見るからにぼろぼろで、ページはかなり黄ばんでおり、年季を感じさせた。
「ランケットの森にある遺跡をご存じでしょうか? あれに関する書物です」
「はぁ!?」
「あの一帯は歴史が途絶えていますし、かなり独特な文字を使っていて、調査が進んでいないとか……。売れば中々の値になるかと」
 コールは急いで計算してみたが、それどころの騒ぎではなかった。それに、コール自身もかなりの興味があったので、二つ言葉で返事した。グレイはにやり、として交渉成立を宣言した。


 夜。コールは本を読み終え、満ち足りた気持ちでベッドに体を預けた。苦労に見合う報酬だった、と納得することができる。だが、心のどこかで、ここまで計算してグレイが依頼をふっかけてきたと思うと、少し寒気がした。
 文字通り三日三晩寝続けたせいか、体調はすこぶるよかった。明日の朝にはこの町をでれそうだった。荷物も整理するほどないので、本をリュックに放りこめばすぐにでも出発できる。
 ぎし、とベッドが軋んだ。起き上がると、ベッドにシフォンが腰かけていた。神妙な面持ちをしているが、感情は見えなかった。
「幽霊みたいだね」
「幽霊だって言ったらどうする?」
「驚くわ」
 コールは平坦な声でうわぁ、と言いながら、軽くのけぞった。シフォンは目を閉じて、軽く溜息をついた。
「嘘よ……生きてるから安心して」
「そりゃ、よかった」
「まさか、本当にサイモンを倒しちゃうなんて」
「言ったでしょ? 事実は小説より奇なり、って」
「そうね。ホントに主人公みたいだわ」
 シフォンがベッドの上を四つん這いに伝って、そのままの勢いでコールを押し倒した。コールは今度こそ心底驚かされた。押し倒される際、もう少しで壁に後頭部が当たるところだったが、当たらなかったのでコールはその点は良しとした。
 シフォンは、顔を寄せて、コールの顔を――特に目を――凝視した。自然と、コールも彼女の青い目を見つめることになる。はらり、とシフォンの黄金色の髪がコールの顔にかかった。シャンプーの薫りはしなかった。コールは息を止めていた。何故だか、そうすることが自然だと思えたのだ。シフォンも息を止めているようだった。ランプの火が何度かちらついたところで、シフォンは顔を離した。
「町長から聞いたわ。醒めたくない夢を見たんですって?」
「ええ、視たわ。というか、見せられた、かな」
「死んだ妹がでてきた?」
「よくご存じで。その通りよ」
「でも、別れてきたのね」
「じゃなきゃここにはいないわね。よくできた幻影(にせもの)だったわ」
「いえ、それはきっと本物よ」
「え?」
「死んだ人の魂は、知る人の心に宿る。その夢から出られたのは町長の魔除けのせいだけじゃないわ。彼女、最後の最後で、手を離したでしょう?」
「あ……」
「彼女も死にたくて死んだわけじゃないわ。貴女と離れるのは嫌だった。夢の中でも会えたのは、嬉しかったでしょうし、離れたくなかったという気持ちは、本物の彼女の言葉よ。ちゃんと受け止めてあげてね」
「シフォンちゃん、一体あなたは……」
「それじゃあね。コールさん」
 シフォンはそういってベッドから飛び降りると、わざとらしく足音を立てて、そそくさと出ていってしまった。部屋には呆然としたコール一人と、静寂だけが残った。
 コールは目を閉じて、あの手のぬくもりを思い出そうとしたが、全ては記憶の暗い場所へ沈み切ってしまっていた。